【 飯田史彦 】のオススメ書籍を「書評/レビュー」で紹介 【 飯田史彦 】のオススメ書籍を「書評/レビュー」で紹介

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Books : 【 飯田史彦 】のオススメ書籍を「書評/レビュー」で紹介


 
  • 私が過去に読んだ飯田史彦氏の様々な書籍の中から、【オススメ書籍】をいくつかご紹介します。
  • 私自身の理解力の低さ・文章力の無さは棚に上げていますので、「何と拙い書評/レビューだろう」と笑われるかもしれません(涙)。
  • オマケとして、オススメ度★印...最高5個)・難易度初級...中級...上級)・抜き書きノート抜粋)を付けました。
  • 書籍タイトル&画像をクリックすると、新たにアマゾン(Amazon.co.jp)の画面が開きます。そこに、多くの読者が書いた様々な「書評/レビュー」が載っています。ぜひ、この Amazon の書評を読んでみてください。バラエティーに富んだ多様な視点が、とても参考になります。
  • 「すべてのものごとには意味と価値がある」と考えながら、さまざまな試練に立ち向かう飯田史彦氏の世界・・・。その「入り口」をじっくりと覗いてみてください・・・。

 ◆ 飯田史彦

飯田史彦氏も居眠りするのかな?

◆ 飯田史彦(いいだ ふみひこ)

 1962年、広島県生まれ。福島大学元教授、経営学博士。経営心理学者、カウンセラー、音楽療法家。
 広島県立呉三津田高等学校から学習院大学経済学部、同大学院修士課程、博士課程へと進み、1990年に国立福島大学経済学部「人事管理論」担当の助教授として採用される。

 2005年、飯田史彦氏は福島大学経済経営学類の教授となり、約20年にわたり経営戦略論・人事管理論等を教える国立大学教官を続けた。この間、イギリスのロンドン市立大学大学院客員研究員、東北大学大学院経済学研究科&会計学研究科講師、筑波大学大学院経営システム科学講師を歴任する。

 国立大学の教官という職務と並行し、一切の報酬を受け取らないことを前提に、メンタルヘルス・マネジメントの専門家として自殺防止と終末期医療を主とした活動、独自の「生きがい論」について講演活動を全国で行う。講演会は、12年間で600回を超える。

 2005年12月末、飯田史彦氏は突然の脳出血に見舞われ、生死の境をさまよう。その際の臨死体験は、著書『ツインソウル』として発表。その後「誰の、いかなる悩みでも、飯田自身が、ゆっくり時間をとって、無料でカウンセリングを行う」という使命実現のため、福島大学に辞職を申し出る。

 2009年3月に教授職を辞し、無償でカウンセリングやスピリチュアル・ケアを行う施設「飯田史彦スピリチュアル・ケア研究所 "光の学校" 」を設立した。
 また経営学者としては、「飯田史彦メンタルヘルス・マネジメント研究所」の所長として、講演会やセミナー(研修会・勉強会)の講師を引き受けている。

 飯田史彦氏の著書群である「生きがい論」シリーズは、180万部を超えるベストセラー。全国の医療・福祉機関、教育機関からの依頼に対しては、チャリティ活動として無償で講演を行いつつ、あらゆる思想・宗教団体からの中立を守っている。

 ◆ 参考リンク ⇒ 【 飯田史彦研究室へようこそ!】

[決定版]生きがいの創造 - スピリチュアルな科学的研究から読み解く人生のしくみ[Amazon レビュー]

飯田史彦 『[決定版]生きがいの創造』
飯田史彦(PHP研究所)
★★★★★ 【初級】【中級】
価格:¥2,520
 国立大学法人 福島大学 経済経営学類の元教授 飯田史彦氏による『科学的スピリチュアル人生論』の傑作です。
 
 本書の基になった飯田氏による研究論文「『生きがい』の夜明け 〜 生まれ変わりに関する科学的研究の発展が人生観に与える影響について」が、福島大学発行の学術誌『商学論集』に掲載されたのは1995年のことでした。飯田氏がこの論文に「ご希望の方には無償でお送りします」と付記しておいたことで、FAXや手紙による依頼が後を絶たず、「口コミ」による反響が爆発的に広がりました。最終的には、この論文を読んだ人の数は数万人にのぼると考えられています。

 国立大学の教官という立場で書かれた学術論文であり、しかも一般書店では簡単に入手できない学術誌への掲載であるにも関わらず、これほどの反響があったことに、著者である飯田史彦氏自身も大いに驚いたそうです。しかし逆に、商業主義とは無縁の「マジメな」研究者が書いた研究論文だからこそ、一般の日本人に与える「信頼感」が大きいのではないかとも思えます。そして、多くの読者の要望に応えるかたちで、この論文を加筆・発展させ、一般向けに書かれた『生きがいの創造』初版が1996年に出版されました。これが、本書『生きがいの創造』誕生のいきさつです。本書は後に、点字版、英語版、韓国語版、中国語版、イタリア語版、ミャンマー語版などにも翻訳されました。

 すでに飯田史彦氏による「生きがい論シリーズ」は累計180万部を突破しており、本書も新しい情報に基づく大幅な改訂を経て、50万部を超えるベストセラーとなっています。いまや、本書『[決定版]生きがいの創造』は飯田史彦氏の「生きがい論」の集大成であると同時に、初めて氏の著作に触れる人にとっても最適な入門書であるといえるでしょう。

 本書「はじめに」に、以下の記述があります。
本書は、各国の大学教官や医師などによる、「人生のしくみ」に関する科学的研究の成果をご紹介し、スピリチュアルな観点に立つ(精神性を重視する)知識を活用することによって、私たちの人生観がどのような影響を受け、日々の生活がいかに素晴らしいものへと変わるかということについて考える、新しい観点からの「生きがい論」です。
 したがって、本書の目的は、スピリチュアルな現象(たとえば「死後の生命」や「生まれ変わり」)の存在そのものを、証明することではありません。 ・・・(はじめに)

もしも、スピリチュアルな世界や、そのしくみの存在が事実であると「仮定」し、人生で生じるあらゆる現象に意味があると「仮定」すれば、私たちの日常の小さな不満は無意味なものとなり、何の価値もないように見えた不幸や挫折が、逆に貴重な価値を帯びてくる可能性があります。それらの知識は、どのような激励の言葉よりも強力な、「生きがいの源泉」となってくれるかもしれません。 ・・・(はじめに)
 本書のテーマは、証明が不可能な「スピリチュアルな現象が真実であるかどうか」を論じる事ではありません。ある「仮定」を受け入れることによって、たとえ困難に直面した場合にも、人は大きな「生きがい」を持って生きていける・・・という点にあるのです。

 テレビなど「商業主義」に流れやすいマスコミとは一切関わらず、オカルトやスピリチュアルのいわゆる「マニア」とも無縁であり、常に論拠を明確にした「科学的態度」を貫く姿勢に、読者は大きな信頼感を持つことができます。そして、その姿勢の背後に、深く傷ついた心をも包み込んでくれる大きな優しさを感じることでしょう。

 この本に出会うことで、人生観が大きく変わった人も多いはずです。問題を抱えている人、壁を感じている人、人生に疲れている人、そして人生を真摯(しんし)に生きようとする人にとって、涙が止まらなくなるほどの感動を与えてくれる最高の1冊となることでしょう。

【抜き書きノート】 ... 飯田史彦 『[決定版]生きがいの創造』 より
私たちは、なぜ生まれてくるのか ・・・・・・ それは、生まれてこなければ経験できない貴重な学びの機会があるからこそ生まれてくるのであり、その機会、つまり「死」や「病気」や「人間関係」などの「思い通りにならないこと」を通じて学ぶことこそが、人間として生きる目的・意義・意味なのだと言えるでしょう。・・・(第2章)
ブレイクスルー思考とは、「すべてのものごとには意味と価値があり、表面的には失敗・挫折・不運のように見えることも、すべて自分の成長のために用意されている順調な試練である」という信念を持つことによって、「その試練に挑戦するだけで、乗り越えたのと同じ価値がある」と考えながら、人生の試練を気軽に乗り越えていこうとする思考法である。・・・(第5章)
仮説1:人間は、トランスパーソナルな(物質としての自分を超えた精神的な)存在であり、その意味で、人間の生命は永遠の存在である。
[死後生仮説:life after death hypothesis]・・・(第5章)
仮説2:人間の本質は、肉体に宿っている(つながっている)意識体(spirit; soul)であり、修業の場である物質世界を訪れては、生と死を繰り返しながら成長している。
[生まれ変わり仮説:reincarnation hypothesis]・・・(第5章)
仮説3:人生とは、死・病気・人間関係などの様々な試練や経験を通じて学び、成長するための学校(学びの機会)であり、自分自身で計画した問題集である。したがって、人生で直面するすべての事象には意味や価値があり、すべての体験は、予定通りに順調な学びの過程なのである。
[ライフレッスン仮説:life lesson hypothesis]・・・(第5章)
仮説4:人生では、「自分が発した感情や言動が、巡り巡って自分に返ってくる」という、「因果関係の法則」が働いている。この法則を活用して、愛のある創造的な言動を心がければ、自分の未来は、自分の意志と努力によって変えることができる。
[因果関係仮説:the law of causality hypothesis]・・・(第5章)
仮説5:人間は、自分に最適な両親(修行環境)を選んで生まれており、夫婦や家族のような身近な人々は、「ソウルメイト」として、過去や未来の数多くの人生でも、立場を交代しながら身近で生きる。
[ソウルメイト仮説:soul mate hypothesis]・・・(第5章)
重い病気やハンディキャップを持ちながら生きる人は、決して「運の悪い人」ではなく、しばしば誤解されるように、「過去生で悪いことをした報いを受けている人」でもありません。なぜなら、意識体としての自分が宿る肉体そのものに試練を与えながら生きるというのは、この物質世界で人間として生きるうえで最も困難な挑戦課題のひとつであるため、それほどの試練に挑戦するに値する、よほど発達した意識体のみに、そのチャンスが与えられるはずだからです。したがって、重い病気やハンディキャップを持つという高度な試練に挑戦している人は、人間としての卒業試験を受けたり、卒業論文を書いているような、それほどの学びを積んだ素晴らしい人であり、勇気あるチャレンジャーなのです。・・・(第5章)
人生では、自分に解けない問題は、何ひとつ用意してありません。人生で出会う大きな試練は、自分で自分に与えたのですから、手を伸ばせば必ず届く、ちょうど良いレベルの問題ばかりです。目の前にある試練が、つらければつらいほど、悲しければ悲しいほど、大きな挑戦であればあるほど、「自分は、これほどの問題を解くに値する、すばらしい人間なのだ」ということを、証明しているのです。
 あなたは、もう、足し算・引き算レベルの問題など、とっくの昔に解いてしまったので、今、因数分解や微分積分レベルの高度な問題集に挑戦しているのです。あなたは、もう、それほど困難な問題でなければ学べないほどに成長した、素晴らしい人間なのです。
 どうか、それほど困難な問題に挑戦している自分に誇りを持って、「自分にならば絶対に解けるのだ」という信念を忘れずに、その問題に挑戦してくださいね。・・・(第5章)
... 飯田史彦 『[決定版]生きがいの創造』 より

※飯田史彦 著『生きがいの創造(初版)』の英語版である
"CREATING THE VALUE OF LIFE" を無料で読むことができます。

 HTML版・・・"CREATING THE VALUE OF LIFE"
 PDF版・・・"CREATING THE VALUE OF LIFE"

 英語の勉強も兼ねて読んでみる・・・というのは、いかがですか?!

【目次】
第1章 過去の人生の記憶
 1 トランスパーソナルな意識状態
 2 よみがえった記憶
 3 記憶の検証
第2章 人生のしくみ
 1 「中間生」への帰還
 2 人生の自己評価
 3 人生の自己計画
 4 すべてのことには意味がある
 5 ソウルメイトたちとの関係
 6 愛することへの挑戦
 7 最適な親を選択
 8 物質世界への再訪
 9 人生を読み解くための宇宙論
第3章 愛する故人とのコミュニケーション
 1 愛する故人からとの再会
 2 愛する故人からのメッセージ
 3 愛する故人との対話
第4章 「永遠の生命」や「神・仏」を科学する意味
 1 「スピリチュアルな仮説」の説得力
 2 「スピリチュアルな仮説」の優位性
第5章 「ブレイクスルー思考」による生きがい論
 1 信じることの価値
 2 ブレイクスルー思考の基本原則
 3 人生を劇的に変える思考法
 4 「スピリチュアルな人生観」の重要性
 5 「生きがい論」からのメッセージ
 6 「生きがい」の神様

 

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松下幸之助に学ぶ人生論 -「経営の神様」が語る人生・天命・宇宙  ←[Amazon レビュー]

飯田史彦 『松下幸之助に学ぶ人生論』
飯田史彦(PHP研究所)
★★★★★ 【中級】
価格:¥1,680


【抜き書きノート】 ... 飯田史彦 『松下幸之助に学ぶ人生論』 より
大規模経営の企業、巨大企業というものによって、いかに経済性が高まり、生産性が向上しようとも、その経済性、生産性というものによって人間の幸せ、共同生活の安定というものが損なわれる、というようなことがあってはならないと思う。人間が企業というものに主座を奪われてはならないのである。あくまでも人間が主座を保持して、そして人間によって企業が駆使されるという姿が望ましいわけである。〜松下幸之助

「経営(management)とは、あらゆる経営資源(人・物・資金・知識・情報・技術・経験など)の価値を最大限に発揮させながら、あらゆる存在(人間・生物・植物・地球・宇宙など)の幸福を追求すること」である。〜飯田史彦

... 飯田史彦 『松下幸之助に学ぶ人生論』 より

【目次】
序章 松下幸之助の生涯
第1章 幸之助、人生を語る
 熱中し、楽しみ、成長する
 それぞれの長所を生かす
 強い意志と勇気をもって挑戦する
 試練を通じて学ぶ
第2章 幸之助、天命を語る
 運命を貴ぶ
 生命力を活用して使命を果たす
 人それぞれの価値を生かす
第3章 幸之助、宇宙を語る
 真理探究の意義
 人間の価値と人生の理想
 生成発展の死生観

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生きがいの創造III - 世界標準の科学的スピリチュアル・ケアを目指して  ←[Amazon レビュー]

飯田史彦 『生きがいの創造 III』
飯田史彦(PHP研究所)
★★★★★ 【中級】
価格:¥1,680



【抜き書きノート】 ... 飯田史彦 『生きがいの創造III』 より
時おり、人々をだまして不正な利益をあげる経営者が現れて世の中を困らせるため、「経営というのは汚い行為である」とか、「経営学は金儲けの手伝いをする下劣な学問だ」などと誤解されてしまうことがありますが、そのような先入観は大きな誤りです。世の中の多くの経営者や企業は、世のため人のために経営努力を重ねて、その報酬としての正当な利益を得ているのです。したがって、経営学の本質が、「あらゆる存在を幸福にする正しい経営の追求」にあることを、ご理解いただければ幸いです。

私が経営学者として気づいたのは、労働者に本質的な「働きがい」を得ていただくためには、より根源的な命題である、「人間としての生きがいを創造する基本原理の解明や有効な手法の開発」こそが、強く求められるということでした。特に、「なぜ自分は生きているのか」という解答の源泉となる、「信仰心」と呼ばれるものが薄い多くの日本人に対しては、生きがいを創造する本質的方法論として、スピリチュアルな領域にまで踏み込んでみる必要性があったのです。

... 飯田史彦 『生きがいの創造III』 より

【目次】
 第1章 スピリチュアル・ケアの基礎知識
 第2章 科学的スピリチュアル・ケアのために役立つ情報
 第3章 科学的スピリチュアル・ケアを支える五つの仮説
 第4章 科学的スピリチュアル・ケアの有効性
 第5章 科学的スピリチュアル・ケアへの提言

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ツインソウル - 死にゆく私が体験した奇跡  ←[Amazon レビュー]

飯田史彦 『ツインソウル』
飯田史彦(PHP研究所)
★★★★★ 【初級】【中級】
価格:¥2,205

 著者である飯田史彦氏が国立福島大学の教授であった2005年に脳内出血で倒れ、その時の「臨死体験」を綴った著作です。

 少々長いのですが、以下は「プロローグ」からの引用です。
  二〇〇五年十二月三十一日の、午後のこと・・・・・・。
 私がインターネット上に公開しているホームページ、「飯田研究室へようこそ!」の、「今週のメッセージ」のページに、次のような「お知らせ」が掲載されました。
 十二月三十一日(飯田先生代筆)
 お知らせ
 飯田史彦先生(福島大学教授・四十三歳)は、去る十二月二十八日、福島市内にて、意識障害に陥られて昏倒され、救急車で搬送後、脳に100cc以上の大量の出血が発見され、脳外科にて緊急手術を受けられました。執刀医によると、「わずか遅かったら命を失っていた。三途の川を渡りかけていた」とのことでした。(以下略)
(中略) そう、私は、この「お知らせ」にあるように、事実として、「死にかけた」のです。それも、「死ぬ直前で何とか助かる」という、危険な状況だったのです。
 これは、「ちょっと経験してみるか」と、面白半分に実行できることではありません。ほんのわずかな間違いでも起これば、もう、自分の肉体に戻ることはできなかったのです。まさに、致命的な危険を冒しながら、多くの方々にご迷惑をおかけすることによって、はじめて経験できることでした。

 その結果、私は、「スピリチュアルな世界と深くつながらなければ経験できない、たいへん貴重な学び」を、数多く積むことができました。しかも、奇跡的な幸運が重なって、ぎりぎりのところで、めでたく物質世界に帰還することができたおかげで、こうして、人間社会の方々に、その学びをご報告することが可能になったのです。

 本書は、その貴重な学びの記録であり、本書に記した内容は、すべて「事実」であることを、お約束します。実際にお読みくだされば、本書の内容が空想で書けるものではないこと、そして、本書の内容を創作して発表したところで、私自身には得になることがなく、むしろ科学者としてのリスクが大きすぎることを、おわかりいただけるはずです。
 つまり本書は、ただひたすらに、私の純粋な「使命感」のみに基づいて、勇気を振り絞って公表するものです。読者の皆様にも、これから私がご報告する驚くべき事実の数々を、どうか余計な邪念を捨て、ただ純粋に、ありのまま受け取っていただけますよう、お願い申し上げます。 ・・・(プロローグ)
 飯田史彦氏の著書は、そのほとんどが論理的に組み立てられ、あるいは、きちんとした論拠をもとに書かれています。それは、元大学教授という立場からして当然であるのかもしれません。
 しかし、本書『ツインソウル』は、そのような飯田氏の通常のスタイルとは異なります。それは、本書が『生きがいの創造II』等と並ぶ、数少ない「体験の告白」のひとつだからです。

 本書を通して伝えられる「光からのメッセージ」を「余計な邪念を捨て、ただ純粋に、ありのまま」に受け取ることができれば、とても大きな「学び」を得ることができます。人生で直面する試練の大きな方ほど、その学びは大きなものとなるでしょう。「人生のしくみ」に対する深い理解が、「救い」を生むことになります。

 ただし、飯田作品に初めて接する方の場合、別の著書( 飯田史彦 『[決定版]生きがいの創造』など )を先に読まれたほうが、理解がよりスムーズとなり、結果的により多くを得ることができると思います。

【抜き書きノート】 ... 飯田史彦 『ツインソウル』 より
すると、私は、まるで自分がまぶしい光を発しながら大爆発して、一瞬のうちに、宇宙全体にまで広がっていくかのような、奇妙な感覚に襲われました。そして同時に、まったく違う次元(魂の世界のひとつ)へと、自分がつながって行くのがわかったのです。もう少しわかりやすく、物質世界的な言い方をすれば、「次の瞬間、私は、自分が光になって、どんどんまぶしく輝いていくのを感じ、気がつくと、この物質世界とはまったく違う、どこか別の世界へと移動していました」という表現になるでしょうか。

 そこは、やわらかく温かな光に満ちた、とても安らげる世界でした。(中略)ただそこにいるだけで、魂としての自分に、どんどん、エネルギーが充填されていくような、そんな気持ちになったからです。そこを簡潔に表現すれば、「魂のエネルギーで満たされた世界」とでも、言い表すしかありません。 ・・・(第2章)

光「価値があるのは、ただ、学ぶ努力、愛する努力、使命を果たそうとする努力・・・・・・この三つの努力だけだ。それ以外は、人として生きる、本来の目的ではない」
(中略)
光「学び、愛し、使命を果たそうと努力したならば、その結果として社会的に成功したかどうかにかかわらず、それは望ましい人生である。たとえ人間社会で成功しても、学び、愛し、使命を果たそうと努力したのでなければ、それは望ましくない人生なのだ」
私「・・・・・・」
光「したがって、人間社会での成功そのものは、あらゆる意味において、こちらの世界では、評価対象にならない。こちらの世界で問われるのは、充分に学んだか、充分に愛したか、充分に使命を果たしたか・・・・・・ただ、それだけだ」 ・・・(第2章)

光「人生における、いかなる成功も、いっさい評価されないことが、空しいか?」
私「・・・・・・」
光「空しければ、そこから学びなさい」
私「?」
光「すべての事象、あらゆる経験は、学びのためにある・・・・・・その空しさから学び、『真の成功』についての答えを求めなさい」
(中略)
私「個人として・・・・・・つまり、ほかの人から評価された結果である『社会的成功』ではなく、自分自身が、個人的に評価した結果としての『自分なりの成功』こそが、真の成功だという意味なのでしょうか?」
光「・・・・・・」
私「自分なりの成功というのは・・・・・・成功の基準や尺度が、他人からの評価ではなく、自分の心の中にある、という意味ですから・・・・・・先ほどのご指摘と合わせて考えれば、『他人が自分をどのように評価しようとも、自分自身が、学び、愛し、使命を果たそうとして、充分に努力していると自己評価していれば、それこそが真の成功なのだ』、ということでしょうか?」
光「その通りだ」・・・(第2章)

その時、私は、ある事実に気づきました・・・・・・いえ、気づいたというよりも、思い出したという表現の方が、適切でしょう。

「この光のことを、もしも、『神』や『仏』と呼んでみたら、どうなるだろうか・・・・・・『神仏』とは、『宇宙』そのものであり、同時に、『私』そのものでもある・・・・・・言い換えれば、『神仏』は、『私』の中に存在していらっしゃり、同時に、『私』は、『宇宙』そのものである『神仏』の中に存在しており、しかも、『宇宙』は『私』の中に存在している・・・・・・。
 そうか・・・・・・『宇宙』は二重構造になっており、宇宙の本質は『精神宇宙』であって、地球や人間たちが生きる『物質宇宙』は、『精神宇宙』が自己研鑽の場として創造した実験場にすぎないのだと考えれば、矛盾は解消する。
 つまり、『精神宇宙』と『神仏』と『私』は、みな同じものを指しているのだ・・・・・・人間が『神仏』という言葉や概念を用いる時、それは『自分の心の奥に存在する本当の自分』のことを意味しており、その『本当の自分』は、宇宙の本質であり正体である『精神宇宙』とつながって、『精神宇宙』の存在理由である『愛としての自分自身の成長』を、目指しているのだ・・・・・・」

 ここでいう「私」は、宇宙に存在する無数の「魂」の代表ですから、このようなしくみは、人間として生きるすべての魂たちについても、当然のように当てはまることでしょう。
 つまり、人間はみな、「魂」として「神仏」(精神宇宙)とつながっており、人間はみな「神仏」(精神宇宙)の一部であって、私たち人間は、「神仏」と対話する時、実は心の奥に存在する「本当の自分」(精神宇宙)と対話しているのだ、ということです。私たちは、魂の姿でスピリチュアルな世界に戻った時、「究極の光」として現れる、「本当の自分」と出逢い、このように自己評価しながら、宇宙の真理を「思い出す」のです。・・・(第2章)
私「人生とは、何なのですか?・・・・・・つまり、人として人生を生きるというのは、どういうことなのでしょうか?」
(中略)
光「物質世界のものに例えると、山を登ることに等しいでしょう」
(中略)
光「それぞれの人によって、登るべき山が違っています。高い山もあれば、低い山もあります。なだらかな山もあれば、険しい山もあります。美しい花に覆われた山もあれば、密林の茂る山もあるでしょう。岩や断崖もあれば、ときに、絶壁をよじ登ることにも、迫られることでしょう。小川や滝もあれば、ときに、木の実や果実にも恵まれることでしょう」
私「はい・・・・・・おそらく・・・・・・」
光「ご存じのように、どのような登り方をするのも、すべて、それぞれの魂の自由です。大回りしながら山頂を目指すのもよし、一直線に駆け上がるのもよし・・・・・・のんびりと休みながら登るのもよし、わき目もふらずに走り続けるのもよいでしょう。
 どのような山を、いかなる登り方をしようとも、登り終えたときの価値には、差はありません。そして、どのような山であれ、それぞれの魂が自分で選び取った、自分に最も適した山であることを、忘れてはなりません」
私「なるほど・・・・・・」
光「どのような山であっても、登るべき山、送るべき人生に、間違いなどありません。ほかの人が登る山など目もくれずに、自分が登るべき山を、自分なりの方法で登ればよいのです」 ・・・(第2章)

光「真理とは、きわめて単純かつ純粋なものです。人生の目的とは、自分のために生きること・・・・・・より正確に表現すれば、『人生の目的は、自分の成長のために、自分なりの学びを積むこと』だと言えるでしょう。ほかの誰のためでもなく、すべては自分のためなのです。しかし、真に自分にとって価値ある学びを積もうとする人ならば、その学びの過程そのものが、ごく自然に、そのままで、世のため人のためになることでしょう。
 したがって、『世のため人のために生きよう』と考えるまでもなく、まず『真に自分にとって価値ある人生を生きよう』と考えるだけで、『自分のために生きること』が、そのまま、『世のため人のために生きること』にもなるはずなのです」
私「なるほど」
光「そして、望ましい生き方について考えるとき、その答えもまた、きわめて単純かつ純粋なものです。『望ましい生き方とは、ただ、自分自身を愛しながら生きること』だからです。なぜなら、真に自分自身を愛している人ならば、ごく自然に、そのままで、ほかの人々を、苦もなく愛せるに違いないからです。
 したがって、『ほかの人々を愛そう』と考えるまでもなく、まず『真に自分自身を愛そう』と考えるだけで、『自分自身を愛すること』が、そのまま、『ほかの人々を愛すること』になるはずなのです。誰かを愛するという行為は、相手のためではなく、真に自分を愛している人が、自分自身のために、ごく自然に行うことのできる行為なのです」 ・・・(第2章)

私「しかし、『経営とは、お金を儲けることだ』と思っている経営者が、多いように見えますが・・・・・・」
光「お金は単なる副産物であり、目的ではありません。経営の目的は、あくまでも、あらゆるものの価値を発揮させることであり、人や生き物や自然や地球など、あらゆるものの幸せを追求することなのです。その結果として、人や生き物や自然や地球などから感謝され、その感謝に応じた金額のお金がもたらされるのです」
私「そうは言っても、物質世界で大儲けしている人々をみると、アンフェアなビジネスによって巨額の富を手にしている人々も、たくさんいますが・・・」
光「人々を騙したり、生き物や自然や地球を傷つけながら行うビジネスは、一時的には成功しても、決して、長続きすることはありません。長く安定した経営を実現すること、つまり、ビジネスにおいて真に成功するためには、『わが経営を通じて、わが経営が影響を与えるあらゆる存在の幸せを追求しよう』という志こそが、何よりも大切な条件なのです。この志を経営理念として努力するならば、きっと報われることでしょう
私「しかし、そのように努力したからこそ、アンフェアなライバルに負けてしまい、ビジネスとして失敗したという事例を、いくつも見てきましたよ」
光「正しい経営を志した結果として、たとえうまくいかなくても、それは単にビジネスとして失敗したというだけであり、人間としては、大成功なのです。経営者としての自分に、大いに誇りを持てばよいのです」
私「お金を儲けるという行為そのものは、悪いことではないのですよね?」
光「あらゆる存在を幸せにしようとする努力を通じて、正しい方法によって得るお金は、決して、悪いものではありません。そのような努力や方法を通じて、お金持ちになるのであれば、それ自体は、悪いことではないのです。
  しかし、お金を持ちすぎてしまうと、人はしばしば、ほかの人々を、お金によって操るようになります。最もいけないことは、『人の心はお金で買うことができる』と、大きな誤解をしてしまうことです。人の心は、決して、お金で買うことはできません。お金によって一時的に従わせることはできても、長く安定した信頼関係を築くことは、決してできないのです。人を心の底から動かすのは、『愛』でしかあり得ません。そこに『偽りではない、真の愛』を感じれば、人は、たとえお金を失ってでも、喜んで手を貸してくれるのです」 ・・・(第2章)

私「その『愛』というものについて、率直にうかがいたいのですが、『愛』とは、いったい何なのでしょうか?」
光「それほど簡単な質問はありません・・・・・・あなたも、そしてほかの誰もが、その答えなど、すでに知っているはずだからです。その答えを知らないままで生まれていく魂など、ただのひとつも存在しません。なぜなら、それぞれの魂が、『愛』そのものだからです。
  したがって、もしも、あなたの問いに対して、人間の言葉で答えようとするならば、『愛とは、あなたである』と、お答えするしかありません。つまり、人生を通じて、『自分とは何か』を自問し続ける過程そのものが、すなわち『愛』を問う過程でもあるのです」
私「それでは、『人生』とは、いったい何なのでしょうか?」
光「それもまた、きわめて簡単な質問です・・・・・・あなたも、そしてほかの誰もが、その答えなど、すでに知っているはずですよ。その答えを知らないままで生まれていく魂など、ただのひとつも存在しません。なぜなら、魂が人間として生まれていく目的は、ただ『学ぶ』ために尽きるからです。
  したがって、もしも、あなたの問いに対して、人間の言葉で答えようとするならば、『人生とは、学びである』と、お答えするしかありません。」 ・・・(第2章)

私「それでは、その『人生』という学びの過程において、『愛』そのものである人間にとって、いちばん大切なことは、何なのでしょうか?」
光「誇り高く生きること・・・・・・つまり、『自分は、愛そのものなのだ』という自信を、決して失わないことです」
私「それが、なかなかできないのです・・・・・・その自信を失わず、誇り高く生きるためには、いったい、どうすれば良いのでしょうか?」
光「愛そのものである自分を、ありのままに愛することです」
私「しかし、自分を愛そうとしても、人間はみな、数多くの罪を犯しながら生きているので、自分に対して厳しい人ほど、なかなか自分を愛せないのですが・・・・・・」
光「たとえ、あなたが自分を愛せなくても、あなたが愛そのものであることには、変わりはありません。どれほど罪深い人でも、どれほど自分に自信がない人でも、どれほど自分が嫌いな人でも、みな、愛そのものであることに、変わりはないのです。そのことを、思い出すのです」 ・・・(第2章)

光「祈るのです・・・・・・心に光を念じながら、まぶしいものに対して祈るのです。まぶしいものを心に描きながら祈るということは、まぶしい光の次元に、魂をつなげるということです。そうすれば、あなたの傷ついた魂に、立ち上がって歩き出すための、エネルギーが送られるのです
私「祈りには、力が・・・・・・効果があるのですね?」
光「確かな、大きな力を持っています。ただし、その力は、祈りの力を信じる程度に応じて異なります。なぜなら、祈りの力を強く信じる者ほど、より波調の高い次元に、つながることができるからです」
私「ということは、祈りの力を信じていない人が、半信半疑で神様や仏様に祈っても、せいぜい波調の低い次元にしかつながることができないので、たいした効果も得られない、ということなのですね?」
光「その通りです」 ・・・(第2章)

私には、いまも、あの時の、「究極の光」からのメッセージが、伝わってきます。
 本書をお読みくださった皆さまにも、きっと、そのメッセージが、しっかりと、届いていらっしゃることでしょう・・・・・・

「人生でもっとも大切なのは、誇り高く生きること・・・・・・つまり、『自分は、愛そのものなのだ』という自信を、決して失わないことです・・・・・・あなたも、精一杯、誇り高く生きなさい」

と。 ・・・(エピローグ)

... 飯田史彦 『ツインソウル』 より

【目次】
プロローグ〜「生命を賭けた学び」への挑戦
第1章 12月28日、物質世界でのできごと
 1 予感
 2 発生
 3 復活
第2章 12月28日、精神世界でのできごと
 1 体を離れる
 2 物質世界を飛び回る
 3 「究極の光」と出逢う
 4 光の同士たちと対話する
 5 「ツインソウル」の謎が解ける
 6 「生と死の境界」をかいま見る
 7 人類へのメッセージをいただく
 8 肉体へと生還する
第3章 神秘の扉を開く
 1 意識障害の恐怖
 2 「幽霊」現象のしくみ
 3 「宗教」の真実
エピローグ〜「究極の光」とともに

 
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生きがいの創造 IV - 私たちは、どこへ向かうべきか?  ←[Amazon レビュー]

飯田史彦 『生きがいの創造 IV』
飯田史彦(PHP研究所)
★★★★★ 【初級】【中級】
価格:¥2,310

 本書『生きがいの創造 IV』の「プロローグ」は、次のようにはじまります。
  私は、瓦礫に埋もれてしまった、かつては住宅街であったはずの地域を、疲れた足を引きずりながら歩いていました。(中略)その瓦礫のどこかから、語りかけてくる声が聞こえます。(中略)その声は、「肉体の生命を失ったにもかかわらず、かつて自分がいた場所に、そのまま留まっている存在」が発する声でした。
 2011年3月11日に東日本大震災が発生して以来、著者である飯田史彦氏は東北の広範にわたる被災地を訪れ、飯田氏にしかできない「魂の救済活動」を行っています。すべての費用を飯田氏自らが負担しながらの活動は、今後も数年〜十数年はかかると考えられています。

 本書『生きがいの創造 IV』は、『このたびの大震災によって、大切な人を亡くされた方々をお救いする』という、『根本目的』のために書かれました。そして、そのために、飯田氏による「魂たちとの対話」「光たちとの対話」の内容まで公開しています。
 今までの飯田氏の著作より、一歩も二歩も踏み込んだ内容です。また、かつて国立大学法人の教授であった時には、決して書けなかった内容でもあります。
  本書は、それらの活動を通じて、私が得た情報を、広く公表するものです。「こんなこと、絶対にあり得ない」と拒否する方は、どうぞ、きらびやかなファンタジー(空想小説)として、お読みください。「こんなことが、あったらいいなあ」と願う方は、どうぞ、夢を叶えてくれるエンターテインメント(娯楽)として、お読みください。そして、「この通りのことが、あるに違いない」と直感する能力をお持ちの方は、どうぞ、生々しいノンフィクション(事実報告)として、お読みください。どのような捉え方であっても、きっと何か大切なことに気付いていただけることでしょう。 ・・・(プロローグ)
 被災された方には、是非とも読んでみていただきたいと思います。また、お知り合いに被災された方がいらっしゃるなら、どうか薦めてあげてください。きっと何らかの「救い」を得られることでしょう。

【抜き書きノート】 ... 飯田史彦 『生きがいの創造 IV』 より
飯田「ずっとそちらにいた?・・・・・・あなた自身というか、あなたの正体は、ずっとそちらの光の世界にいながら、こちらの物質世界で生きる○○○○○○という名前の肉体の脳とつながりながら、その人物の人生を体験していたというわけですね?」
男性「はい」
飯田「だから本当は、『来た』とか『還った』という表現も、正しくはないというわけですね?」
男性「はい、私自身は、ずっとこちらの世界にいたことを、死んで肉体を離れてから思い出しました・・・・・・本当は、『離れる』のではなく、『脳とのつながりを終える』ということなのですが」
飯田「なるほど、もともと、あの世とこの世を行ったり来たりするわけではなく、あなたの正体はそちらの世界にいるままで、こちらの物質世界に存在する一つの肉体を選んで、その脳とつながり、その肉体を操作しながら、人間として生きる人生を経験する・・・・・・そのことを、『生きる』と表現するのですね?」
男性「その通りです。物質世界で生きているうちは、そんなこと、まったく想像していませんでしたが・・・・・・」 ・・・(本編)

飯田「・・・・・・ということは、人は誰でも、死の間際には・・・・・・少なくとも、死を覚悟した時からは、苦痛から解放されるということですね?」
男性「はい、ですから人はみな、死を受け入れた瞬間から、安らかになるのです」
飯田「・・・・・・ということは、このたびの震災で先立たれた方々も、みな最後は安らかな死であったと?」
男性「その通りです」
飯田「つまり、ご遺体がどのような状態であっても、その御方は、安らかな死をお迎えになったと・・・・・・そのように解釈して、間違いないのですね?」
男性「はい、その通りです」
飯田「言い換えれば、たとえご遺体がどれほどの損傷を受けていても、激しい苦痛の中でもだえ死んだ御方は、誰もいないと・・・・・・皆様が、安らかにお亡くなりになったと、そういうことですね?」
男性「はい、間違いありません」 ・・・(本編)

飯田「幸せでしたか?」
男性「はい、生きている時には気づきませんでしたが、本当に幸せでした」
飯田「死後に、大いに反省することが多かったにも関わらず?」
男性「はい、反省すべき体験が多かったということは、学ぶべき点も多かったということであり、大いに成長した人生だったという意味でもあるからです」
飯田「人生とは、学びの場なのですね?」
男性「はい、でも、学びの材料には、苦しい体験だけでなく、楽しい体験も含まれています」
飯田「楽しい体験?」
男性「大いに遊んだり、気持ちの良いことをしたり・・・・・・肉体を持って物質世界に生まれて来なければ味わえないような、さまざまな体験を通じて、人間は視野を広げたり、思索を深めたりしながら、成長するのです」
飯田「いかなる体験も、成長の材料なのだということですね?」
男性「いえ、その表現は、適切ではありません・・・・・・正しくは、いかなる体験であっても、学びの材料にして成長することが、人間として生まれた者の使命であるということです」
飯田「使命?・・・・・・学んで成長することが、我々の使命なんですか?」
男性「はい」
飯田「人間は、しばしば、自分の使命は何だろうか、と考えてしまうのですが・・・・・・使命というのは特殊なものではなく、日常の生活を通じて、きちんと体験し、学び、成長することこそが、使命なのだというわけですね」
男性「はい」 ・・・(本編)

飯田「それでは・・・・・・今回の大震災は、どうしても、起きることが避けられない運命だったのでしょうか?・・・・・・それとも、地球にとって、予定外の出来事だったのでしょうか?」
光「地球に起きた物理現象としての大地震と大津波は、起きるべくして起きたことであり、運命というよりも、必然的な自然現象でした」
飯田「・・・・・・ということは、べつに、何らかの大いなる意志が働いて、超自然的に引き起こされたわけではなく、純粋に地球の物理現象だと・・・・・・」
光「大地震と大津波の発生そのものについては、純粋な自然現象にすぎません。ただし、その一方で、大地震と大津波がもたらした、さまざまな被害の種類と深刻さについては、あなたたち人類が、長年にわたる選択や行為の結果として受け取ったものです」
飯田「・・・・・・それは、きちんと被害を予想しなかったことや、予想していても対策を実行しなかったことによる、因果関係の結果だということですね?」
光「その通りです」 ・・・(本編)

飯田「人間が、この物質世界に生まれてくる、その目的とは・・・・・・」
光「信じることに挑戦するためです」
飯田「信じることに挑戦するため・・・・・・」
光「この物質世界に生まれてくると、脳意識を中心とした、言葉による意思疎通が、主な交信手段となります。だからこそ、自由自在に非言語のコミュニケーションができる光の世界には存在しない、ある重要な感情を体験することが可能になるのです」
飯田「・・・・・・それは、自分の意志や価値観を相手にうまく伝えられないという、もどかしい感情のことですか?」
光「その、もどかしい感情が高まると、どのような感情に変化しますか?」
飯田「・・・・・・相手の言葉が理解できなかったり、信用できなかったり・・・・・・あっ!」
光「そうです、そのようにして生まれる不信感、つまり、自分以外の存在を信じることができないという、辛く悲しい感情を体験し、乗り越えていくことこそが、人間として生まれていく、主な目的なのです。そして、その体験を通じて不信感を克服し、自分以外のあらゆる存在を信じることに挑戦しながら、魂は自らを成長させ、ますますまぶしく輝けるようになるのです」 ・・・(本編)

今生でどのような生き方を選択しようとも、すべての人が、それぞれの生き方を通じて学んでいるのだから、生き方によって優劣を評価してはいけないのだ、(中略)どれほど酷い生き方や、レベルの低い生き方をしているかのように見える人であっても、今生では、わざわざそのような生き方をしてみることによって、大いに学んでいるのだから、(中略)。 ・・・(エピローグ)

... 飯田史彦 『生きがいの創造 IV』 より

【目次】
プロローグ〜語りかける声
はじめに〜緊急地震速報
本編 被災者の魂たち、そして「光たち」との対話
エピローグ〜私の発見
付記 震災から何を学び、いかなる方法で「生きがいの創造」を進めるか

 
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